古潭(こたん) 厚田村の発祥地は古潭になります。古潭は現在の厚田市街地から南に下った押琴(オショロコツ)地区で、天然の良港となる地形があったために弁財船(北前船)が往来するようになりました。 押琴湾は・・・ (続きを読む)
中頓別町の失われた風景 (昭和40年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
厚田村から 17 (第43代横綱吉葉山)
北海道はかつて相撲王国でもありました。元横綱の記念館が町興しとともに建てられています。有珠の麓に北の湖、道南の福島町には千代の山(道産子横綱第一号)と千代の富士、弟子屈には大鵬記念館があります。 石狩・・・ (続きを読む)
中標津町の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
厚田村から 16 (佐藤松太郎)
「厚田村」は映画監督・脚本家の松山善三が書いた単行本です。 父親に徴収令状が届き札幌月寒の25聯隊に行くところくらいから始まります。(日露戦争)。上巻は厚田村の網元佐藤松太郎が主役として登場。 当時・・・ (続きを読む)
津別町の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
厚田村から 15 (戸田 城聖)
戸田 城聖(とだ じょうせい) 明治33年、現在の 石川県加賀市塩屋の生まれで2歳の時に「厚田村」に北前船の仲買商であった家族と移住してきました。 戸田には9歳年上の兄がおり同級生に子母澤寛がおりまし・・・ (続きを読む)
弟子屈町の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
厚田村から 14 (新選組始末記)
写真は、厚田の道の駅に展示されている子母澤寛の本で、おそらく初版本ではないかと思います。確認まではしませんでした。 真ん中の「新選組始末記」が昭和3年に出された作家デビュー作品です。左の「新選組遺聞」・・・ (続きを読む)
東藻琴村の失われた風景 (昭和41年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)