開聞岳

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油絵 P6号 キャンバス 縦410×横273
2018年制作

私が絵を描いていると話すと根占(鹿児島)の経営者が一枚描いて欲しいと言われ「どのような絵が希望ですか?」で「南の国」とのことでした。北国は得意ですが南の国はイメージが湧かず困りました。

鹿児島では多くの人との出会いがあったため中々テーマが絞れません。ところが根占出身の元宝塚トップスターの方が「開聞岳を見ると高校生だった時を思い出し故郷に帰ってきたことを実感します」と話していたことを思い出しました。

根占の人たちにとって開聞岳は「故郷の山」だったのです。桜島や霧島を描こうかと思ったこともありましたが、どうもその気になれなかったのは距離感があるように思えたからです。

開聞岳は薩摩半島南端指宿町にある標高924mの山です。根占からは錦江湾を挟んで薩摩富士とも呼ばれています。薩摩半島にはJRが通っており、指宿の砂むし温泉や篤姫武家屋敷、知覧特攻平和会館など観光ツアーで賑わいが絶えません。

それに対して根占のある大隅半島は30年ほど前に鉄道は廃線となり、フェリーとバスだけの交通手段です。鹿児島空港から車で桜島を右手に見ながら通過し、桜島の裏側が見えなくなるまで走って2時間はかかります。

知覧に対して鹿屋町には海軍「神風特攻隊」が飛び立った基地がいまも自衛隊駐屯地として残っています。同じ鹿児島県の半島ではありますが、戦後大きな経済格差が出来てしまいました。

戦争末期に陸軍の知覧飛行場、海軍の鹿屋からは神風特攻隊が飛び立った若者たちは、開聞岳の上空で一回転して沖縄に向かったといいます。いずれも開聞岳が最後に見る日本の山でした。

この絵は、根占で一軒だけあるホテルの食堂に掲げられているといいます。

 

開聞岳