歴史上のアイヌ民族で最も有名な人物はシャクシャインです。
その名は中学校の教科書にも登場し、高校日本史でも掲載されるほどです。この戦いは、近世の蝦夷地における最大の戦いであり、当時の幕藩制国家にとっても、島原の乱(1637-38年)以来となる大事件でした。
徳川幕府(第四代家綱)はときの松前藩主が11歳の矩広(のりひろ)であったため、矩広の従祖父にあたる旗本の松前泰広に出陣を命じ、津軽藩にも出兵を命じます。幕府が直接指揮をするのはこれが最初でした。

文章は数冊のシャクシャインに関連する本を参考に創作しました。

寛文9年(1669年)6月14日にシコツ近辺で、アイヌ民族が和人を襲い、鷹待をはじめ船頭達を殺害したのが始まりでした。この知らせを6月21日、シラオイ(白老)アイヌが松前藩に知らせてきます。

6月25日、松前藩は使者を江戸の北条正房のもとに派遣し、到着したのは7月11日。同時に弘前藩にも通報し、弘前藩に着いたのが6月30日でした。
江戸藩邸では、この報を幕府に知らせるべきか迷い、13日になってようやく報告。弘前藩は、松前藩が幕府へ報告したのを確かめてから幕府へ報告。
こうして、幕府は松前氏の一族で旗本の松前八左衛門泰広に出陣を命じ、弘前藩にも出兵を命じるとともに盛岡藩・秋田藩にも松前藩から要請があり次第出兵するように命じます。
当時の松前藩の和人は約1万5千人、うち家臣団は80余名。
これに対してアイヌの人口は2万余人とみられていました。

写真はシャクシャイン時代の関係図です