明治16年、「活汲(かつくみ)」に旧土人救済事務取扱所を設置。
アイヌ人に農業指導をしていましたが、効果が上がらず3年後に美幌に移転します。散在したアイヌ人を集約就農により開墾・耕作の効率を上げようと、美幌村のアシリベツクシに新しいコタンを形成しました。

明治31年に活汲原野が植民区画され、この地の先駆者となったのが明治35年に入植した福島出身の小沼常之助でした。彼は旧土人救済事務取扱所跡に小屋を建てています。

明治36年、津別・飜木禽(ぽんききん)原野が開放され、翌年宮城県の小田切次郎が仮住まいし、さらに翌年駅逓を開き明治40年に正式に取扱人となりました。
同じころ、父親の旧仙台藩長次郎も移住しています。

更に、植民道路が開削されるにつれ、移住者が増え市街地が形成され、この地には38府県から人々が新たな土地を求めて入植しました。

明治末に網走線が開通したことで換金作物の出荷が進み農業が拡大し、木材業も盛んになりました。

林業と農業が基幹産業

木工工芸館

林業は合板、木材、木工芸品の制作が盛んな町です。
農業は畑作が中心でタマネギ・小麦・ビート等で、寒暖の差を活かしたメロンは糖度の高さを誇っています。

 

 

 

ケミチップ湖畔

津別の町は86%は森林が占めており、森林セラピー基地に認定されています。

ケミチップ湖畔には野鳥公園・樹林園が設置され、キャンプ場やホテルを備え、湖の南岸端から約200mのところに鹿鳴の滝があります。
また、21世紀の森にもキャンプ場・スポーツ施設・研修施設が整備されており、木材工芸館には吹き抜け空間に森が再現されています。