おといねっぷ

音威子府村は、北海道の村の中で神恵内村(後志地方)と競う人口の少なく現在800人を割っています。
この村を「おといねっぷ」と読める人は少ないと思います。
アイヌ語の「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)に由来し、音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていたために呼ばれていました。

旭川から国道40号線を北上し、2時間30分ほどでオホーツク海(浜頓別町)と日本海(豊富町)に分かれる村です。
2018年の5月、音威子府村に7人の村長が集まってサミットが開かれました。
「100年先も生き残るために、情報を交換し、相互に協力し合う」との共同宣言を発表しました。

山梨県丹波山村・和歌山県北山村・岡山県新庄村・高知県大川村・熊本県五木村、福島県檜枝岐村、そうして北海道音威子府村の7村です。

ユニークな美術工芸の村

村の9割が森林のため「森と匠の村」をテーマとし木工芸品を加工しています。
この村には公立の「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」があります。
森林を生かし「造形体験を重ね、豊かな心を育む高校」で、自然環境の中で美術や工芸を専門に3年間の高校生活を過ごすことができます。

一学年40名・全学年120名ですが、生徒の2割が道外から来ています。
地元出身者以外の遠方から入学した生徒は、寮生活のため住民票を移すことが条件になっています。そのため村の人口にカウントされ、平成29年3月の人口743人のうち15%が高校の生徒・教職員となり村を支えています。

村の広報誌を読んでみると、生徒活動も掲載され村に溶け込んでいるのが良く分かります。学校は東海大学との連携やスウェーデンとの国際交流も盛んで、毎年学生をスウェーデンに送り込む力の入れようです。

この学校の校長が「砂澤ビッキ」の個展会場に足を運び、音威子府村で制作をすることを進めました。
小学の廃校跡が住居兼アトリエとなり名作が生まれていきました。
アトリエ跡は、ビッキが亡くなった後「エコミュージアムおさしまセンター」となりました。
国道40号から天塩川を渡ったところにあり、ここから更に2キロほど川を下ったところが松浦武四郎の「北海道命名の地」になります。