関寛斎は陸別町開拓の祖といわれています。

幕末に医者として活躍した後、72歳で北海道開拓に来ました。
その生き様に、司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で、城山三郎は「人生余熱あり」で作品として書き、この陸別の地を訪れています。

司馬遼太郎は「 陸別は、すばらしい都邑と田園です。寛斎の志の存するところ、ひとびとが不退の心で拓いたところ、一木一草に、聖書的な伝説の滲みついたところです。森に、川に、畑に、それらのすべてが息づいています」
と語っています。

関寛斎資料館は「道の駅オーロラタウンりくべつ」と併設しており、道の駅はかつて十勝池田~北見間の鉄路駅だったところです。

明治43年9月、網走線が陸別まで開通するのを待ちかねて徳富蘆花は妻愛子、娘鶴とともに斗満の関寛斎を尋ねています。
関寛斎の何が、かくも文豪たちを魅了したのだろうと資料館を訪ねてみました。