北のビーナス

音別町(おんべつちょう)は、北海道釧路支庁管内の白糠郡に存在した町です。

町の形がミロのビーナスに似ている事から、「北のビーナス」としての町おこしが進められています。

2005年(平成17年)10月に釧路市と合併し、白糠を挟んで釧路市の飛び地となり、元の町役場は釧路市役所音別町行政センターになりました。

 

町名の由来は、アイヌ語のオムペッ(川尻・塞がる・川)の説があります。

ヤナギダコの産地

寛政12~13年(1800~1801)に屯田兵の先駆けと言われる八王同心頭の原藩左衛門らの白糠移住に伴い、50人の一部が尺別番屋付近で農作物を作ったのが最初でした。

しかし、本格的に農業に着手するのは明治20年(1887)中村守重が音別川の河口に33ヘクタールの払い下げを受けて、25頭の道産馬を導入して牧場を始めたのが始まりです。

その後、この中村牧場を中心に人が増え、更に高嶋文吉が渡船場経営に直別に入るなど、東北・北陸からの移住者が定着していきました。

明治27年ごろ、旧国道に石田久米七が木賃宿を兼ねて日用雑貨の店をはじめたのが、音別商業のはじまりです。

鉄道の開通

明治36年に釧路から音別まで鉄道が開通し、にわかに資源としての木材が重要視されるようになります。明治末期から大正初期にかけては、釧路港から外国へに向けてもヨウザイや枕木が輸出されるようになり、音別では多くの鉄道枕木が生産されるようになりました。

1915年(大正4年)、江戸時代から 白糠村(現白糠町)の傘下にありましたが分村し翌年に尺別村となります。更に、大正11年に音別村と改称しました。
明治40年から設置された軍馬補充部の音別派出部が農耕適地ということから開放され、町営として積極的におこない昭和34年に町制施行となります。
しかし、大正7年に開坑した尺別炭鉱(昭和16年には41万トンを超える)が昭和45年閉山し、翌年には過疎地域指定を受けます。

企業誘致

オロナミンCの町

大塚製薬工場と大塚食品の釧路工場が置かれ、大塚グループの企業城下街。
綺麗な水を利用して、輸液・注射薬・清涼飲料などを生産しています。

エコパワーJP(本社 釧路市白金町)の太陽光発電所(敷地面積1,190,000㎡)が置かれています。