生田原町(いくたはらちょう)は、網走支庁管内にあった町です。
2005年10月1日に遠軽町・丸瀬布町・白滝村と合併し、遠軽町となりました。

町名の由来はアイヌ語のイクタラ(ササの意)より。

明治34年、新潟県南魚沼郡出身の佐藤文八が駅逓継立取扱人となり、現旭野に入ったのが和人移住のはじめと言われています。
明治36年、新潟県三島郡出身の安立啓三郎が湧別を経て、水穂に入植し農業を始めました。
明治41年、豊原の奥山新之助が遠軽から種根を移入しハッカの栽培が始まり、その後、太田徳次郎の試作で水稲栽培も始まります。

さらに、大正3年の鉄道開通により林材工業が起こり、造材木工場が発達し、大東マッチ工場や、柾業など、木材の主要産地となりました。

網走支庁西部、紋別郡地域の中心町である遠軽町南部に接しています。 
北以外の三方が山に囲まれた地形。

町を南北に国道242号、石北本線が縦断しており、町の中心は中部にあります。 
気候は内陸型で昼と夜の寒暖差が激しく年平均気温は6.9度。 生田原川ではヤマベが釣れるため、ヤマベの里と呼ばれています。

歌句碑ロード

文学による町おこしをおこなっており、JR生田原駅にオホーツク文学館を併設。
旧樺太を含むオホーツクの流氷圏域を題材とした文学作品を展示収集。
作家の句碑、歌碑、詩碑、小説碑、随筆碑など19基を建立し、生田原川沿いに「歌句碑ロード」などがあり、一般から募った短歌・俳句を記した石碑が並び、その数は約250。

地元でとれる木材をいかして木のおもちゃワールド館(ちゃちゃワールド)を1998年(平成10年)4月28日に開館し、 世界40箇国の木製のおもちゃを展示しています。