とようら町名の旧地名は「弁辺」(べんべ)でした。「べんべ」とはアイヌ語のペウンペ(水・ある・ところ)の意味です。
昭和7年に「べんべ」ではごろが悪いとして「豊浦」に改名。豊浦とは「農産、水産が豊かな内浦湾に面している」ところからです。

カムイチャシ史跡公園

1719年、飛騨屋久兵衛が弁辺川上、オフケン川上流で造材、流送していたといいます。

1800年代には弁辺と礼文華に番屋が設置され、後に礼文華に運上屋が置かれました。

 

 

カムイチャシ史跡公園は国指定の景勝文化財「ピリカノカ」に指定されています。アイヌ語で「神のとりで」という意味です。
急な135段の階段を登り丘の上にあります。まさに砦になっており、そのまま残されているのが奇跡です。

明治9年、礼文華に官設駅逓が置かれ、斎藤義重が取扱人となり漁場で漁業も営んでいました。
明治14年、大岸地区に山本忠之助らが伊達から移住し、明治20年には太刀川善五郎がオフケシ川流域に貸し付けを受け小作を入れて開墾。
同じころ桜地区に採木のため入った田中幸十郎は肥沃なことを知り、故郷の越前で移住を勧め笹出清右エ門らが移住してきました。
明治41年、山梨団体93戸、翌年にも106戸が入り農業が急速に発展します。
昭和41年からホタテの養殖をはじめ、噴火湾ホタテ養殖発祥の地となりました。

道の駅とようら

道の駅とようら 内藤大助

いちごの名産地として有名になり、道の駅で「いちご」と「ボクシングの内藤大助」(内藤選手の出身地)が待っています。

今や、豊浦はホタテ・イチゴ・豚肉の3大特産品として知られています。

 

 

 

 

 

豊浦海浜公園キャンプ場
海浜公園はキャンプ場と海水浴場が一体化しており、海水浴場を囲む突堤では釣りを楽しむこともできます。
晴れた日には、海の向こうの対岸に渡島半島、駒ヶ岳を望むことができます。
絶景と海水浴を同時に楽しめます。

豊浦町文学碑公園(トップの写真)
この公園には与謝野夫婦と斎藤茂吉の歌碑、それに伊藤整随筆碑が建っています。噴火湾を挟んで遠方に見えるのは有珠山です。