しりうち町名の由来はアイヌ語のチㇼオッイ(鳥・群居する・ところ)が転訛して当て字されたとの説があります。知内の鷹は他の地区のものよりも品質が良かったため、松前藩が徳川将軍家に献上する15羽の鷹狩り用鷹の産地であり、その半数以上は知内で捕獲したものと言われています。

旧石器時代末期の日本最古の墓が知内で発見され、「玉」や「垂れ飾り」などの装飾品は国の重要文化財に指定されています。

大野土佐日記

北海道最古の神社といわれる「雷公神社」(らいこうじんじゃ)に伝えられる古文書「大野土佐日記」に13世紀の初めのことが記されています。
『1205年甲斐国伊原郡の荒木大学が鎌倉幕府の命により、砂金採取のため桶元へ上陸したこと、そして砂金掘りの家が千軒あり、そこから見えた一番高い山を千軒岳と言うようになったとか、砂金掘りの人夫により知内温泉が発見されたというようなことがかかれている。』
上雷という地域から大正4年9月現在地(元町)に遷座。

15世紀には、道南12館のうち南条季継が館主の脇本館が築かれたが、1457年にコシャマインの戦いで攻め落とされました。
このころの知内にはアイヌの有力者が居住していたらしく、1551年蠣崎季広が東西のアイヌと講話した際、知内のチコモタインを東部のアイヌの代表にしています。
明治に入ると、本格的な農業や漁業が行われ、明治14年福井県の山田慎が未開地を拓き、米国式農業を行う知内村牧畜会社を創設しました。
この場所には「農業発祥の地」のモニュメントが建てられています。

鮪之塚

明治23年に建立した「鮪之塚」があります。

これはマグロ漁も盛んに行われ、それによって財産を築いた藤野文蔵が供養のため桶元の海の見える高台に残されています。

 

青函トンネル

知内町は、青函トンネルの入口がある町です。
昭和63年青函トンネルが開業しました。津軽海峡線のトンネル出口は知内の湯の里地区にあります。