2009年(平成21年)10月5日 、 湧別町と上湧別町が合併し新町名を湧別町としました。
平成合併最後の町となり、これで道内の市町村は179となりました。
上湧別は元々湧別村から分村して始まった村です。

ゆうべつの地名はアイヌ語でチョウザメ(鮭の事)を意味する 「ユペ」か、「ユーペツ」(温泉の川)に由来するとされています。

明治10年頃は湧別原野に和人は居住しておらず、アイヌ人が海岸や川沿いに集落を作って魚漁や狩猟をして生活をしていました。

明治15年、この原野に初めて開拓に入った和人は徳弘正輝でした。
徳弘は明治14年、高知の同志とともに自由民権運動のため上京、未開の天地を開拓する志で土佐には帰らず北海道に移住し網走郡役所の役人となりました。その後、役人を辞し湧別を永住の地と定めます。
大阪出身の和田麟吉と共同で半沢真吉の土地を借りて開墾しました。
半沢という人物は一足早く網走郡役所を辞して入地していました。明治15年に紋別戸長として就任したため、二人が土地を借り受けたのです。後に和田は駅逓業に転向しました。

明治24年頃、中湧別のアイヌ人集落で区画測量が始まると、貸与地が設定されます。徳弘は散在していたアイヌ人を集合させました。彼の伴侶もアイヌ人で誠意をもって接したためアイヌの人たちから慕われました。
徳弘はリンゴ栽培の先駆者ともされ、牛や豚の飼育もおこなっていたといいます。

屯田兵とチューリップの町

明治29年から湧別兵村の建設がはじまり、翌年には熊本や山形・愛知から入兵しました。

戦後チューリップ栽培の可能性を探り、昭和30年代に54戸の農家で耕作組合を結成し昭和35年に輸出量全道一を誇りました。

国道242号沿いには屯田兵の資料館とともに、百数種類のチューリップ公園があります。