うらかわ町名の由来は様々で、アイヌ語のウラㇻペッ(霧・川)、腸を指す「オラカ」「ウラカ」といった説もあります。

江戸時代から浦河場所が開かれていた町で、豊かな海産物に恵まれていました。
明治4年、開拓使の招募移民があり肥前国(長崎県)から24戸74人が西舎村に、肥後国(熊本県)天草郡から21戸95人が杵臼村に入地しました。

赤心社建物

明治13年、兵庫県東部三田藩の若手藩士鈴木清らによって赤心社が創設され、翌年西舎に50人入植。しかし、気候・病に屈し失敗に終わります。

第二陣として福沢諭吉の門下生で、クリスチャンの澤茂吉を団長とし明治15年に荻伏に80余人が入植、虫害・冷害の辛苦を重ね開拓を続けました。
明治21年に建てられた赤心社の事務所は法人団体の建物で唯一現存しているものです。

明治20年~大正9年に浦河港の湾岸調査を経て、大正10年着工し昭和5年完成し本格的に漁業の町としてスタートします。

五冠馬シンザン

明治40年、日高種馬牧場が設置され、大正期からサラブレッドを育てます。

戦中は軍馬に重点が置かれしたが、近年は優駿の里と呼ばれ、五冠馬シンザンのふるさと谷川牧場はじめ牧草地帯が広がります。