うらほろ町名の由来は、アイヌ語のウララポロ(霧・多い)という説があります。

当地域の開拓はサケ漁を中心として十勝川河口から始まっています。

明治14年、青森県人が愛牛村に入植したのがはじまりで、明治16年に岩手県下閉伊郡出身の西田小次郎も入植。

明治29年、岐阜県の衆議院議員の大野亀三郎らが設立した岐阜植民合資会社の経営で、農場管理人下野松太郎が小作人1名と開墾に当たりました。
明治33年、大津村外六ヶ村戸長役場から十勝村、生剛(おべつこうし)村、愛牛村の3村が分離、独立し、生剛村外二ヵ村戸長役場を設置。(浦幌町の開基となります)
明治39年、生剛村と愛牛村が合併し生剛(せいごう)村となり、明治45年4月 浦幌村に改称。

浦幌炭鉱

明治24年ごろ、浦幌炭鉱が発見されましたが、採炭が始まったのは大正7年で昭和29年に閉山しています。

昭和27年の十勝沖地震で未曽有の被害を受けました。しかし、翌年森永乳業、更に雪印乳業の工場が設置され昭和29年に町制施行しています。

森林面積が町面積の77%、そのうち55%が私有林です。
カラマツを使用した木工品も製造されており、造林事業を進めて蓄積率の向上を図っています。

道の駅うらほろ

国道38号沿いに道の駅があります。
この駅の裏に「うらほろ森林公園」があり、キャンプ場・パークゴルフ場・テニスコートなどが備えられています。

また、JR浦幌駅から北に17㎞の「留真の森」には温泉・宿泊施設があり、豊かな自然を生かした町民憩いの場を作っています。

 

昆布刈石

十勝川の河口・十勝太から6kmほど走った昆布刈石に高台があり、広大な太平洋を見渡す北海道でも第1級の展望地になります。
晴れた日には広尾・えりも方面から釧路までのパノラマを見ることができます。

昆布刈石は、コンブカルウシ、コンブカルウスなどと呼ばれ、アイヌ語の昆布場の意に由来します。