旧定山渓鉄道の豊平駅

定山渓鉄道豊平駅跡

写真の平屋部分は、かつて国道36号にあった「豊平駅」の跡で東急電鉄の事務所です。写真では駅のホーム跡が残っていますが、今は跡形もなくなりました。

札幌の市電がループ化され、中央区は観光客にも大変便利になりました。
この市電は、むかし 豊平橋を渡って豊平駅が終点(昭和46年廃止)でした。廃止されたのは札幌冬季オリンピック開催(昭和47年)に合わせて、札幌市営地下鉄が開通した年です。

戦争中(昭和18年)には、この豊平駅から北部軍防空作戦室(現在の地下鉄東豊線月寒中央駅の近く)まで秘密の地下道が掘られていました。この地下道は平成11年に確認されております。(ガス崩落のため立ち入ることはできません)

おそらく、北部軍防空作戦室は陸軍第25歩兵連隊の指令室でしたから、幹部たちは札幌駅から豊平駅まで電車で来て、秘密に出入りできるように作られたのでしょう。長く国道36号にある金物店の二階に自衛隊事務所が設置されていました。札幌から千歳方面への有事における対策が図られていたのでしょう。

豊平駅があった国道36号に陸橋もありましたが、撤去されてありません。

定山渓鉄道

豊平駅は、定山渓鉄道の駅でした。
大正7年、札幌の奥座敷といわれる「定山渓温泉」と、この国道36号を横断してJR白石駅まで運行していました。当時は1時間30分かかったようです。

全盛期は戦後復興とともに訪れます。夜間発の往復と、ビール券、とうきび、枝豆、温泉利用をセットにした「月見電車」を走らせたのが当たりました。
また、温泉だけでなく定山渓温泉地川沿いのハイキングコースは、市民に行楽施設として人気が高まりました。

1944年に閉山した豊羽鉱山が1950年に再開し、定山渓鉄道がその鉱石の輸送を引き受けます。1957年(昭和32)に、東京急行電鉄が定山渓鉄道の株を買収し傘下におさめますが、この頃から鉄道は貨物をトラック輸送に奪われ始め、更に1963年(昭和38)からは豊羽鉱山の鉱石輸送がトラックに切り替えられます。
乗客がバスやマイカーに奪われたことに加え、1966年(昭和41)に北海道警察本部から豊平駅近くの国道36号線上の踏切が、交通上の障害になっているとして線路を撤去するよう勧告されます。
こうした中で札幌市が地下鉄南北線の用地買収を申し出ます。(地下鉄は南区で地上にでる地帯)会社はこれに応じて、1969年に鉄道部門を廃止し、代行バスが運行されていたバス系統と統合して、定山渓鉄道は1970年(昭和45)に廃止しました。