きこない町名の由来は、アイヌ語のリリオナイ(波・入れる・川)からで、干満の差が激しく、満潮時に潮が川を逆流することからという説があります。

歴史は古く和人は12世紀に遡るといわれています。
この地も1457年のコシャマインの戦いで、豪族の佐藤季則が破られています。
安政年間に箱館奉行所の御手作場が設けられたこともあり、明治以前から多数の和人が居住していました。

明治18~19年には山形県から、旧鶴岡藩士など計105戸568人の士族が移住士族取扱規則により移住しました。
これは新政府の資金制度によるもので、渡航費用は無料、荷物運賃、生活用品代、仮屋作料の貸付、農業指導・生産物の販売斡旋などの保護を与えたもので、さらに1戸あたり約1万~1万6千坪の未開地を7年間無償で貸し付け、開墾地は低額の地代支払いで私有を認めたものです。
今も鶴岡の地名は残っています。

萩山と薬師山は「ふるさとの森」として町民いこいの場となっています。

展望台からは津軽海峡が眺望できます。