旭川に本格的に和人が往来し始めたのは明治11年ころからでした。
その後、明治19年に滝川を基点として旭川~三笠までの上川仮道が樺戸・空知集治監の受刑者の労役によって開かれ、翌年から改修工事がはじまり、明治22年に完工しました。

それにより明治23年永山村に屯田兵約400戸、東鷹栖にも埼玉県から8戸、翌年東旭川に400戸入植しました。

旭川の発祥地、東旭川地区に建つ旭川兵村記念館は、今日の旭川を築きあげた平民屯田兵の貴重な資料が豊富に展示されています。
記念館に隣接して、1893年(明治26年)に建立された旭川神社もあります。

旭川兵村中隊記録及び屯田物語原画綴

旭川兵村(東旭川屯田)中隊記録は,明治25年に配置された第3大隊第3中隊(東旭川下兵村)、第4中隊(東旭川上兵村)の実態を明らかにするものです。屯田生活様式を克明に記した屯田物語原画綴とともに、地域社会の資料としても希少価値があります。

北海道屯田兵に関する類のない資料が多く,北海道の歴史的遺産としても貴重な宝庫といえます。