アグリポート十勝港

町名はアイヌ語のピルイが語源で「ピ」は石が転がる、「ルイ」は砥石がとれる地という意味で、この言葉が変化したものです。明治2年に広尾郡茂寄村が誕生するまでは「ピロー」「ビロウ」と呼ばれていました。
明治2年、蝦夷地を北海道と改称、十勝国は広尾郡など7郡となり開町の年となりました。大正15年茂寄村を広尾村に改称。昭和7年国鉄広尾線開通(昭和61年廃止)

北の農業を支える港

十勝港は、昭和45年に重要港湾の指定を受け関税法に基づく開港が平成11年に実現しました。北海道と首都圏を最短距離で結ぶ港湾です。 小麦・馬鈴しょなどの農作物を首都圏などへ積出。化学肥料・飼料・セメント・石炭などの受け入れを行う流通拠点として、取扱貨物量も安定的に推移しています。
航路については首都圏との強固なパイプを築く一方、 十勝の企業と海外との取引きも活発化しており、アメリカ・中国・韓国・東南アジアやオセアニア諸国など相手国も多様化しています。