二風谷ダム 5

ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきたところでした。

チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとして当地はアイヌ文化が伝承される重要な土地でした。

このため計画発表と同時に地元のみならず道内のアイヌから強い反対運動が起こったのです。

水没戸数は9戸と少なかったが水没農地が水没面積の半分を占め、うち競走馬の牧場が二箇所あったことも補償交渉を長期化させました。

水没予定地の関係者に対する補償交渉は9年を費やし、1984年(昭和59年)には補償交渉が妥結。
平取町もダム建設に同意し翌1985年(昭和59年)には水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定されて生活再建への国庫補助などが行われました。