「浴澤」(ゆあみさわ)

アイヌ語の地名が多い北海道で岩見沢は数少ない和名。
明治11年に幌内煤田開採のため、開拓使は札幌~幌内間の道路を開削に当たり、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれています。この地は唯一の憩いの場所「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになりました。

明治15年11月、幌内煤田鉄道の幌内~手宮間が全線開通。
明治16年、移住士族取扱規則により、この地に札幌県勧業派出所が設置され、明治17~18年には、山口県・鳥取県ほか10県から士族277戸、1,503人の集団移住により開拓の鍬は下ろされました。
明治17年10月、岩見澤(イワミザワ)村となり、戸長役場、郵便局も設けられ活気ある村となってきました。
明治22年、岩見澤・滝川・忠別太(現旭川)間、明治23年には岩見澤~夕張間に道路が開通。
明治24年に岩見澤~歌志内間、同25年に岩見澤~輪西(室蘭)間の鉄道が開通し、岩見澤駅も元町から現在地に移転、新市街地が形成されるとともに、陸上交通の要衝となりました。