日本海にある小さな岩内町は歴史も古く興味深い話がたくさんあります。

岩内の開基は1751年とされています。
漁場として開け、初代岩内場所請負人は近江八幡出身の商人で岡田弥三右衛門で、岩内の他、松前・江差の地域で繁栄を誇っていました。

1789年頃、松前藩主良広が請負人熊野屋与左衛門に命じて厳島社として祭ったのが岩内神社の創祀です。

1823年に4代目の請負人となった秋田羽後国仙北出身の仙北屋佐藤仁左衛門の頃、本州から天保の大飢饉による避難民が続々と移住。
これが定住しニシン漁業の大きな労働力となり、定住型漁民が増え、19世紀半ばには西蝦夷地有数の繁栄となりました。
佐藤仁左衛門はイワオヌプリの硫黄山における5里の山道を開削し、野束などの原野約8万坪の開墾に着手するなど鉱業・農業の基礎も作りました。

野生ホップ発見の地

維新後、茅沼炭山の調査をしていた米国人ケプロンとアンセチルが明治5年に岩内付近で野生のホップを発見します。
これが開拓使札幌麦酒醸造所の設置に至り、岩内郷土資料館前に「野生ホップ発見の地」碑が立っています。

 

町制施行は早く明治33年(1900年)で、石川県出身の岩井治三郎が冷蔵庫建設により水産物の需要・供給調整に貢献しています。
また、この頃からニシン漁が衰え、それに代わるタラの生息漁場を増田庄吉が明治36年に発見します。
大正9年に三国竹次郎が発動機船タラ漁に改善、岩内漁港も本格的な修築工事を開始し新たな時代を迎えます。

大正元年には小沢(函館本線)~岩内間の岩内線が開通。
今は廃線になっています。

大正13年には下田喜久三が日本アスパラガス(株)を創立しています。

近年は、岩内沖約7.8km、水深約300mの地点から汲み上げた日本海岩内海洋深層水を様々な分野に利活用し「深層水ブランド」の確立による新たな産業創造と雇用の確保を目指しております。

北は日本海、南は岩内岳・雷電山などのニセコ山系に囲まれており、雷電海岸にそびえ立つ弁慶の刀掛岩や積丹半島を見渡せる円山展望台からの風光明媚な自然環境。

豊富な温泉施設・スキー場・パークゴルフ場・オートキャンプ場などのリゾート施設、さらに木田金次郎美術館・荒井記念美術館・郷土館などの文化芸術施設などを柱に観光振興にも力を入れています。