北海道空襲は1945年7月14日・15日にかけて行われました。

攻撃を行ったのはアメリカ海軍第38任務部隊で、13隻の航空母艦を率いて北海道にやってきました。
部隊は道南・登別市幌別沖合に展開し、そこから延べで3000機以上の航空機を発進させ、道内の主要都市を中心に爆撃を行いました。

特に被害の大きかった都市は次の3市です。

室蘭艦砲射撃

防空壕

室蘭市街地 被災世帯1,941世帯、被災人員8,227人、死者436人、重軽傷者49人 軍人含まず。

釧路空襲
釧路市街地 焼失倒壊家屋1,618戸、罹災者6,211人、死者183人、負傷者273人。
7月14日~15日にかけて艦載機141機による8波による大規模な空襲。
鉄道工場、造船所、製紙工場、橋梁が主な攻撃目標で被害は全市街地に渡る。
釧路港内外の船舶も攻撃を受け死者行方不明者28名・負傷8名

 

 

根室空襲

根室空襲

根室市街地 焼失倒壊家屋2,457戸、死者369人。
戦略上全く意味のない農村部も攻撃され、一般市民を中心に死者2,000人を超える被害を出ししました。米軍は、基地のあった北千島への供給を断とうと、根室付近の輸送船を次々攻撃。

 

 

 

函館も本州との青函連絡船を中心に攻撃にあいました。

攻撃を受ける青函連絡船

この航路の損失は、関東の工場へ運ばれていた燃料である石炭供給ストップを意味し、敗戦が決定的になったと言われています。

室蘭の日鋼室蘭は、最新鋭高射砲を生産できる国内唯一の工場であるため重要攻撃対象になっていました。
それで、空襲に加え、沖合の船舶の撃沈、翌日に第34.8.2任務隊の合計13隻により室蘭艦砲射撃を加えました。
1000発以上の砲弾が工場・住宅に着弾したと言います。

また、この空襲を通じて、千島列島から北海道、北海道から本州を結ぶ航路の船舶も攻撃対象となり、多くの船が撃沈または大破の被害を受け、ほとんどの航路が機能を失いました。
大動脈である青函航路も、全連絡船12隻が被害を受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となります。

実際の空襲地(現在の市町村名で表記)

・道南
函館市(青函連絡船・南茅部・戸井・椴法華)、北斗市(上磯)、長万部町、八雲町、森町(本町・砂原)、鹿部町、木古内町、知内町、福島町、松前町
・後志
小樽市、岩内町、積丹町、古平町、余市町、神恵内村、共和町、寿都町
・日高胆振
室蘭市、伊達市、登別市、苫小牧市、白老町、厚真町、安平町(追分)、むかわ町(鵡川)、日高町(門別)、新冠町、新ひだか町(静内)、浦河町、様似町、えりも町
・石狩空知
札幌市(手稲・白石・丘珠空港・東苗穂国鉄基地)、石狩市(石狩本町・生振・花畔~花川・厚田・浜益)、江別市(江別本町・大麻)、千歳市、岩見沢市、由仁町
・上川留萌
旭川市、富良野市、留萌市、増毛町、美瑛町、比布町、鷹栖町
・オホーツク   
網走市、清里町、小清水町、斜里町
・十勝
帯広市、音更町、大樹町、広尾町、本別町、更別村、士幌町、幕別町、池田町、浦幌町、豊頃町
・釧路根室
根室市、釧路市(釧路・音別・阿寒)、釧路町、白糠町、標茶町、厚岸町、中標津町、浜中町、別海町、標津町

厚真町に残る戦争の傷跡「トーチカ」

道内で最大都市だった札幌は中心部への空襲は免れました。
また、千歳空港も大きな被害はありませんでした。これには米軍の戦後
処理で役立てるためという意図がありました。
このときに空襲を受けなかった地域は留萌管内北部、上川管内北部、宗谷全域、オホーツク管内北西部、空知管内北部、檜山全域でした。
空襲を受けながらも死者がゼロだったところもあり、人的被害がなかったのは岩見沢、木古内、登別、白老、神恵内、共和、余市、千歳、由仁、追分、鵡川、浜益、鷹栖、清里、斜里への空襲でした。