広尾町から浦幌町の海岸沿いに、巨大なコンクリートの固まりが墓石のように立ち並んでいます。
旧日本軍が造った防衛陣地のトーチカです。

波や風雨の浸食を受けながらも、戦争の記憶をとどめる遺物として今も残っているのです。

終戦間際、アメリカ軍は道東の沿岸で上陸作戦を検討。
道東防衛を担当した陸軍の第七師団(当時は帯広)は、大樹町では1944年の
夏から秋にかけて突貫工事で多数のトーチカを築きました。

トーチカは艦砲射撃などの爆風を避けながら軽機関銃などで応戦する陣地。
実際の上陸時は海岸ラインは半日も持たないでしょう。
トーチカは時間稼ぎの場。
トーチカのある海岸線は探り合いの『接点』となる場所でもありました。

十勝の海岸は米軍の上陸もなく敗戦を迎えました。
海岸を破られたら、十勝も沖縄のように地上戦で住民に多大な被害が出たでしょう。