けんぶち名はアイヌ語のケネプチ(ハンノキ(・川)・その川口)に由来。
剣淵川と天塩川の合流地の説。ハンノキ川という意味で湿地帯に多い木で、町内を流れる犬牛別川も同じような意味。それだけに開拓は困難でした。

この地はアイヌの人たちにも交通路の利用くらいで、ほとんど誰も居なかったのではないかと言われています。

石川県人で現在の滝川で商業を営んでいた新保寅吉がビバカルウシに移り、舟付場を設置、アイヌ人を雇って回漕業を行っており、新保がこの地最初の和人定住者とされています。後に士別に転居しています。

明治31年、富山富次郎が剣淵郵便局長となり開局準備のため定住し、400戸の屯田兵屋のほか大隊本部などの建物の建築が始まりました。

JR剣淵駅前の人気食堂

明治32年、377戸の屯田兵が入植し、さらに翌年天塩線も士別まで開通、剣淵に停車場ができました。
植民区画選定が行われたのは明治34年、以後団体移民があり、第一号は宮城県の佐藤権兵衛名義で約119㌶の貸し付けを受け、長谷川久六を支配人とした佐藤農場が開設されました。
その後、栃木団体、越中団体などが入り、開拓が軌道に乗り出しました。

屯田兵資料館

屯田兵が入った明治32年が開基ですが、家族を含めて総計2000人ほどが入植しました。この地が屯田兵制度最後のものでした。
当時からの多くの資料が保存され、時代ごとに生活の変化がわかる様に展示、農機具展示や貴重な生活用品等から遊び道具まで見学できます。隣接して屯田兵屋があり屯田兵の入植当時からの農具や馬車、書物や各種生活用具が展示されています。

レイクサイド桜岡

明治33年、酒元喜市の水稲試作が最初でしたが、その後用水の不足から大正14年に桜岡貯水池灌漑溝を完成させ造田が進みました。
この桜岡貯水池は現在桜岡湖として温泉、宿泊施設、キャンプ場、パークゴルフ場などを備えたレクレーション地になっています。

絵本の館

絵本の館

過疎地域指定を受け、絵本の里構想で町づくりを進めています。
昭和63年「けんぶち絵本の里を創ろう会」を結成、当初は手作りの絵本の建物でしたが平成16年に「絵本の館」が新たにオープン。
世界中の絵本約4万冊を収蔵し、全国への貸し出しも行っています。
絵本原画展、読み聞かせ、絵本づくり、体験事業などのほか、来館者の投票によって賞を決定する「けんぶち絵本の里大賞」を開催しています。
こうした背景が映画「じんじん」の舞台になり、訪れる人たちに感動を与えています。