函館山の一角に「外人墓地」があります。
この墓地は、嘉永7年(1854)、ペリー艦隊来航のとき死んだ2人の水兵の埋葬場所に提供したのが始まりでした。
明治3年(1870)、在函5ヵ国の領事からの要望で正式に外国人墓地として定められ、道をはさんで山側がロシア人墓地。
海側のプロテスタント墓地にはイギリス・ドイツ・アメリカ・イタリア人などの墓地があり、安政6年(1859)の開港から明治にかけて、国際港として一翼を担った函館の華やかな側面を物語っています。
ロシア人墓地の斜め向かい、レンガ塀の中の祀堂は中国人墓地となっています。
 

故人の母国によって異なるさまざまな形の墓標が、函館湾を見下ろしながら立っています。