比羅夫駅               

函館本線の倶知安駅とニセコ駅の間に「比羅夫駅」があります。
阿部比羅夫の乗った馬の蹄の跡が残されていたと、まことしやかに話した人もおります。

国鉄初の青函連絡船は「比羅夫丸」と名付けられました。
これらの名称は、7世紀における阿倍比羅夫の渡島遠征における蝦夷征討という故事に由来していることはいうまでもありません。

「ひらふスキー場」がありますが、このエリアがしばらく行っていないうちに大きく変わりました。

比羅夫駅があるのは、ひらふスキー場から車で20分ほど山間を下りたところです。駅に到着してもスキー場に行ける距離ではありません。駅前に宿泊施設がありますが、マニアックな人たちに人気の宿があるだけです。

30年ほど前になりますがアンヌプリスキー場に行った時に20棟ほどのペンションがありました。当時はペンションブームで、リタイアした人たちがニセコの大自然を求めて宿泊所を経営していました。
それから10年ほどすると、このペンション経営が行き詰り宿泊客を集めるために自分たちでホームページを作る騒ぎがありました。 

この場所で描いたアンヌプリの絵です        

更に5年経つと、今度はホテルや旅館では夏場は閉めるところが相次きました。ところが、この時にすでにオーストラリア人が訪れるようになっていたのです。

ニセコが全国に知れ渡るようになったのは、2006年から3年連続で地価上昇率全国1位となったためです。
比羅夫(ひらふ)地区を中心にオーストラリア資本によるマンションやコンドミニアムなどの不動産開発が進んだためでした。当時はひらふスキー場に10件ほどのホテルがあった程度でした。

ひらふスキー場  

山中のリフトに近いところに大型駐車場があり、ここから羊蹄山が眼下に見渡すことができます。
リフトで山頂に上がると眺めは更に高まり、羊蹄に向けて滑っていく感覚が人気の秘密なのでしょう。

外国人が増えるに従いホテルの人たちは、観光客の研究をすることとなります。外国から来る人は喫煙室には入らないで外に出て吸っていたのです。日本人は煙だらけの喫煙室に入って吸っていますが、彼らにはこの習慣が理解できませんでした。

現在「ひらふスキー場」には、国道沿いに店が建ち並び、交差点を下ると変わった宿泊施設がたくさんあります。
コンドミニアムの長期滞在型が主流で270ヶ所の施設があり、山中に外国のリゾート都市ができた如く洒落たストリート名が付いています