ニセコ町

ニセコ町は1964年までは「狩太町」という町名でした。
「カリブト」という語感が良くないということから、観光事業者が中心となり改名運動が行われ「ニセコ」となった経緯があります。

このニセコという名の起源ですが、町の西端にある「ニセコアンベツ川」の本来のアイヌ語地名、ニセイコアンペッ(渓谷・に向かって・ある・川)の前半部分「ニセイコ」を、「ニセコ」とさらに縮めて自治体名としました。(写真はJRニセコ駅)

ニセコは衆議院議員の逢坂誠司氏が町長として活躍をしていた町です。
平成6年~平成17年任期中、町の行政改革として「情報共有によるまちづくり」を掲げ縦割り主義からの刷新を図り、役場が何をしているか住民はもとより担当外の職員も知ることのできる体制を作ったことで知れ渡ることとなりました。

主要産業である観光の分野では、外国からのスキー客(特にオーストラリアから)が増加し、不動産が急騰したところでもあります。

有島記念館(ニセコ)

ニセコに「有島」という地名があり、このエリアに「有島記念館」があります。
これは白樺派有島武郎の記念館で、ニセコを訪れた時は立ち寄ってみてください。

有島は父から受け継いだニセコの土地を、大正11年小作人たちに農場解放を実践しました。
謝恩の意味を込め、また文学をはじめ、その多彩な業績を広く紹介するため、農場事務所跡地近くに開館されました。
館内では、写真、書簡、書、絵画、初版本などを展示し、有島武郎の生涯と文学、農場の解放にいたる軌跡を紹介しています。