襟裳岬

町名の由来は、アイヌ語で「エンルム」(突き出た頭)または「エリモン」(うずくまったネズミ)からという説。

1669年(寛文9年)松前藩の藩士、蛎崎蔵人が商場を置く。その後昆布の漁場として栄える。明治22年- 襟裳岬灯台が点灯(本道唯一の1等灯台)。明治39年- 戸長役場を廃止し、二級町村制が施行され幌泉村役場を設置する(村名は幌泉村)。
この地区は幌泉(ほろいずみ)と言われていた時代が長く、現在も1町(えりも町)で幌泉郡といわれています。
襟裳岬は島倉千代子・森進一の歌で全国区となり、昭和45年に「幌泉町」から「えりも町」と改称された経緯があります。岬の名が町名となったのです。本町から岬までは15キロで一帯はまさに何もない草原です。

北海道の東南端に位置し、豊かな水産資源と雄大な自然景観に恵まれた漁業と観光のまちです。「風極の地」と呼ばれる日本屈指の強風地帯でもあります。コンブ、サケ、ウニなど豊富な魚介類の水揚げは、地域経済の主力を成しています。
また、全国的に知られている「襟裳岬」や断崖絶壁の海岸が続く「黄金道路」など数多くの景勝地を有し、年間30万人以上の観光客が訪れます。
まちの歴史は古く、今から300年以上も前から松前藩の昆布場所として拓かれ、明治13年に戸長役場が置かれて行政の基礎ができました。