富内線(とみうちせん)

富内への路線は、釧路、帯広の道東と室蘭、函館の経済圏を短絡する鉄道として明治43年ころから室蘭の経済界が中心となって始められていました。

大正7年には日高の鵡川流域の石炭と鉱産物を開発する北海道鉱業鉄道会社(後の北海道鉄道会社)が設立され、室蘭本線の沼ノ端駅と根室本線の金山線のうちの沼ノ端ー辺富内(富内)間73キロに軽便鉄道を敷設。

沼ノ端から苫小牧軽便鉄道線(現在の日高本線)に並行して内陸側を通り辺富内(富内)に至る北海道鉱業鉄道会社金山線は、辺富内ー金山間を未着工のまま昭和18年8月に鉄道省に買収されます。
鉄道省は、買収後に日高本線に並行する沼ノ端ー豊城(とよしろ)間を廃止し、鵡川ー富内間を富内線と改称しました。

また、鉄道省では買収前の昭和14年5月、北海道鉄道金山線の富内から十勝への延伸を計画し、富内から日振トンネル間の工事に着手。
根室本線の難所である狩勝峠を避けて道東と道南を結ぶための重要路線に富内を位置づけていました。しかし、地勢は険しく、工事は困難とみられていました。
昭和21年1月に再開をしたものの、昭和23年9月に全面中止となります。

昭和28年8月、富内ー日高間37.5キロが復活し昭和33年11月に富内ー振内間が開通、次いで振内ー日高間も昭和39年3月に鉄道建設公団設立で引き継ぎ、同年11月鵡川 – 日高町 82.5kmが全線開通営業が開始されました。

ところが、翌年の昭和40年日高町ー清水町間の国道274号(日勝道路)が開通。
道東への観光や貨物輸送の期待が高まりましたが、波及効果にはつながりませんでした。
昭和57年(1982年)11月に貨物扱いは廃止、旅客扱いだけとなりましたが、1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1986年11月1日に全線が廃止されました。