深名線

北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた地方線交通線)で、深川市にある深川駅で函館本線から分岐し、雨竜郡幌加内町の朱鞠内を経て名寄市にある名寄駅で宗谷本線に接続していました。

深川ー朱鞠内間の建設当時は同区間を雨竜線と称していました。昭和16年10月に名羽線名寄ー朱鞠内間が開通し、深川ー名寄間121.8キロが全通したときに深名線となりました。

石狩川支流の雨竜川流域は石狩国最北部にあって、南方には石狩平野が開けていますが、三方は山岳が連なる細長な土地です。しかし、肥沃な土地で農耕に適していましたが、冬季間の降雪の際に交通が途絶える地域でもありました。
多度志、幌加内、一已、深川の四か所の有志によって大正5年に陳情請願が行われ、大正7年に軽便鉄道方式での敷設が決定します。しかし、その後何も行われず、大正8年に政友会の東武議員や、各関係町村の代表が着工を要請し、大正10年4月に建設が決まりました。

ところが、今度は大正12年の関東大震災で中止、繰り延べとなります。都度陳情や請願が繰り返され、大正13年10月に深川ー多度志間は雨竜線として開業。
大正15年11月には多度志ー鷹泊間、昭和4年11月には鷹泊ー幌加内間が開通。昭和7年10月には深川ー朱鞠内間78.8キロの全線開通となりました。

一方、名羽線の名寄ー羽幌間の請願は明治44年ころから行われ、大正11年には予定線として認められました。また、名寄ー朱鞠内間は昭和9年3月の議会で名雨線として建設線として編入され、調査が始められ、昭和16年10月に開通。
開通と同時に、深川ー名寄間121.8キロは深名線と改称されました。
一日四往復の客貨混合列車で、所要時間は4時間でした。

しかし、営業係数は常にワースト10に入るという大赤字の路線で、赤字83線や特定地方交通線の廃止論議にもその都度候補にあげられていました。並行道路の未整備を理由に廃止保留となりましたが、国鉄分割民営化後に並行道路の整備が進んだことから、1995年(平成7年)9月4日に廃止となりました。