上川馬車鉄道

第七師団の旭川移転で人口増加となり、明治34年旭川町内の交通機関として馬車鉄道の出願をし上川馬車鉄道㈱が特許を得ました。

明治36年に準備を進めますが株主の異動や資金的事情などで遅れ、明治39年5月に敷設を終えて旭川停車場ー近文一線一号(師団)間の営業が開始されました。
次いで翌年6月には一線五号までが延長。大正2年5月には一線五号ー鷹栖村一線六号間も営業開始となりました。
大正2年5月現在の客馬車数は20両、貨車4両、馬匹36頭でした。

大正6年6月に複線敷設の許可を得ますが、この年は第七師団が満州守備のため旭川を離れたため利用客は半減し、大正7年7月に軌道撤去を出願することになりました。

大正8年9月に軌道を撤去し、道路の復旧工事を終えて会社は解散。8年間にわたる馬鉄は消えました。