久著呂線(くっちょろせん)

阿寒郡の鶴居村と標茶村にまたがる久著呂原野の久著呂と、釧網線の塘路駅の駅前市街地を結ぶ殖民軌道です。

久著呂原野の入植は明治35年ごろからはじまり、大正4年には各府県団体が入植し一気に開拓が進みました。
釧路湿原が交通の障害になり物資の搬出入を拒んでいました。

昭和4年8月、塘路を起点にして釧路川に架橋し釧路湿原を横断し、20.6キロが完成。馬力での使用でした。
昭和8年には久著呂ー中久著呂間8.3キロが延伸されました。

木炭や牛乳など重量物が多かったので、昭和28年に馬力からガソリン機関車の導入を図りましたが、路盤が馬力線のため軟弱で不可能でした。

廃止は昭和40年で、馬力による28.8キロの運行をつづけられました。

写真は久著呂線の通称「挽歌橋」です。
昭和38年に鉄橋に架け替えましたが町道が整備されると軌道利用が減少しました。