虹別線(にじべつせん)

標津線の西春別駅前の市街と、標茶村西別川上流部にある虹別原野を結ぶ殖民軌道です。

虹別原野の開拓は昭和3年ころからはじまり、わずか3年間で入植者は280戸に達しました。昭和4年には虹別~標茶間の軌道請願を提出しますが、根室管内は先に入植した他の原野が先で順序からいって後回しでした。

昭和6-7年の冷害凶作が続き、交通に不便な虹別原野に見切りをつけて大量の転住者がでました。

しかし、中標津に製酪工場ができたことで話が変わってきました。虹別~西春別駅間9.7キロの殖民軌道が昭和13年に完成し、馬力で使用開始となりました。

酪農発展のきっかけとなった虹別線でしたが、自動車の普及で昭和29年に廃止になりました。

写真は標茶町の㈱虹別牧場です