居辺線(おりべせん)

現在の中川郡池田町内の省線ー後に国鉄ー池北線(⇒北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線⇒廃止)の高島駅前から現在の河東郡士幌町(旧士幌村)東南の下居辺地区へ通じていた18.8キロの植民軌道です。

明治30年代から利別川支流の居辺川流域に広がる居辺原野には開拓が進められていました。
昭和に入ると馬鈴薯や甜菜、豆類などの生産が増加し、肥料などの生産資材の需要も増加しました。しかし、道は距離も長く、勾配もあり、しかも悪路で輸送は困難を極めていました。

昭和5年9月に実地測量が始められたのですが、昭和6-7年と二年連続の冷害凶作で敷設工事とはならず、昭和7年9月に工事がはじまります。昭和10年12月に完成し、馬力で使用が開始されました。

当路線には「高島」「信取」「居辺」「清澄」「下居辺」の各停留所がありました。

昭和16年4月に下居辺ー居辺12号間5キロが廃止なりました。高島側の主導で敷設された軌道でしたが、運行をめぐって士幌村地内で意見の対立があったようです。

昭和23年、植民軌道の役割を終えて廃止になりました。

写真は高島駅跡です