現在の斜里郡斜里町から海岸沿いに東進し、同町内の知布泊に達していた路線です。

当路線には「斜里」「東斜里」「一本木」「赤上」「朱円」「海別」「島戸狩」「幌泊」「知布泊(現・日の出)」の停留所がありました。

明治30年代に斜里、飽寒別、止別の国有未開地の貸し下げが行われ、斜里内陸の開拓がはじまります。

大正2年になって三井合名会社、大正7年に富士製紙会社が、斜里山麓の伐採跡地の未開地に大規模な農場を開いたことで、内陸の奥地に農村集落ができました。

また、大正14年には網走線の網走ー斜里間が全通し、斜里村の人口が急増します。
植民軌道斜里線17.9キロの完成は昭和7年12月で、馬力での使用開始です。
ところが、斜里線の着工した昭和6年5月でしたが、この年の9月に釧網線斜里ー釧路間が全通し、斜里市街はこれまで以上に賑やかになりました。その市街地と直結する植民軌道ですから沿線住民に大きな利便性をもたらすものでした。

戦後は老朽化もあり、補助金交付が中止となり昭和26年限りで停止し、翌年2月に廃止しました。