寿都鉄道

大正9年10月、寿都町から黒松内間16.5キロの鉄路を開業しました。一日三往復の運行で所要時間は45分、二等車も連結されました。
寿都港に水揚げされた水産物を黒松内停車場から函館本線に継送するためでした。

寿都は北海道鉄道線(函館本線)建設計画の時、余市、岩内、寿都、黒松内、長万部の日本海沿岸ルートに反対していました。春ニシンの千石場所として発展した町でしたが、次第に不振となり鉄道の轟音でニシンの接岸を望めなくなると考えたからでした。
しかし、大正の初期からいよいよ不振となり、大正3年には寿都町が大火に見舞われました。同じ条件下の岩内には早々と軽便線が敷設されていました。

大正6年9月、函館、八雲、小樽の実業家の協力を得て鉄道敷設の出願をしました。翌年の大正7年8月に資本金50万円の寿都鉄道㈱を創立、大正9年7月には線路敷設を終えます。車両は鉄道省の払下げでした。
利用客は年平均10万人、貨物輸送は平均1万5000トン。寿都鉄道の収入の大半は貨物輸送が占めていました。

戦後、道路の整備と自動車輸送の発達で減少。昭和27年に動力を蒸気から内燃動力化しましたが、昭和43年9月に休止し、昭和47年5月に廃止しました。

写真は寿都町にある寿都駅跡です