最終回

10年ほど前に北オホーツク海の浜頓別町を訪れたことがありました。街を回っても鉄道や駅の跡などは全く見ることもありませんでした。
ところが、「失われた風景」のCDを見ると立派な駅舎があり、朝の通勤客で駅前は溢れているではありませんか!
浜頓別町の失われた風景 (昭和37年) をクリックしてみてください。この半世紀で北海道は大きく変わってしまったことに唖然としました。

こうなると、十勝の祖といわれる依田勉三のことを思い出しました。勉三は現在の大樹町に晩成社の幹部と別れ独りで酪農をはじめます。牛を育て乳牛からバターを造り、様々な製品開発をおこないます。そうして、大都市となった函館に肉屋を開業し牛を率いて歩いて運びます。函館に着いた時に牛はやせ細って売り物になりません。いくら生産をしても流通の手立てがなければ生活が成り立たなかったのです。

道東といわれる中標津・別海・釧路町・根室地区の開拓は、原野に入り土地を切り開き穀物や家畜を育てても鉄路が敷設されるまでは、原野から運び出すことは不可能でした。

本来、鉄路は石炭を運び出すために敷設されたものでした。歌志内市の始まりは、鉄路が敷設されてから人が集まり街が出来た町です。このような町は北海道には沢山あります。
そうして、重要なことは物資が無くなると鉄路は外されたということです。

JR北海道の鉄道廃止が問題になっていますが、人の輸送だけでは事業として成り立たないことを歴史を振り返ってみると良く分かりました。
しかし、それでも人の輸送に力を入れていこうという観光政策では無理があるように思いました。