観光客が行かない比布(ぴっぷ)の旅  人口3,449人 (2023年1月末)                    

「ぴっぷ」の名は、アイヌ語のピプまたはピピから出たもので「沼の多いところ」あるいは「石の多いところ」という意味です。
昔は湿地帯が多かったことや、石狩川の川床には石が多かったためピプ、ピピが転訛し音訳して名付けられたと考えられています。

日本の自治体の中で、唯一パ行で始まる自治体です。

ピップエレキバン

比布町を一躍全国区にしたのはピップエレキバンのCMでした。
昭和55年、同じ名前が縁で比布駅が登場。
樹木希林さんの楽屋としても利用されたのが1898年(明治31年)に建てられた旧比布駅舎でした。
この駅舎は2015年に解体され新駅舎となっています。
写真はぴっぷ新駅 2016年9月4日オープン      

比布のはじまり

明治24年に区画測定がはじまり4年後に測量が完了しました。
明治27年に高知県人中城馬造が一家4人で移住しています。
1895年(明治28年)滋賀、香川、愛媛の各県から比布原野に入植。滋賀出身の谷定徳は渡道して比布原野を調査し、江州団体の団長として20戸を移住。香川県人合田鶴造も44名の団体で移住しました。

天塩線の開業、天塩道路の開通により比布原野は高まり、明治30年代から多くの施設が建ち活況を帯びます。上川方面に移住する人や士別・剣淵屯田兵村への物資輸送の中継地として栄えました。

旭川紋別自動車道は、名は旭川ですが比布町から紋別市に至る高速道路で現在遠軽まで無料区間として開通しています。
旭川の国道12号から鷹栖(たかす)回りの山間から比布町に入ると下り坂となり真正面が高速道路のICにつながります。
かつて石北本線の路線をめぐって比布と旭川で争奪戦がありました。ようやく、高速道路で比布に道が開かれました。

<ルベシベ(上川)線-後の石北西線>    

石狩国と北見国を結ぶ線路は明治40年代ころから望まれていました。
滝川ー下富良野間の開通、勇別軽便線の開通で、旭川と北見への交通が旭川を通ることなく行けるようになったからです。
明治45年、旭川ー遠軽間の鉄道敷設が総裁に提出されました。強く叫んだのは愛別村村長の太田竜太郎でした。通信大臣兼鉄道院総裁の後藤新平とは同郷で、後藤とは旧知の間柄でした。
大正9年度から四か年の継続事業としてルベシベ線・旭川ールベシベ間の着工が決まりました。ところが、比布村から分岐点を比布停車場に変更の請願が出されたのです。愛別、ルベシベに通じる鉄道は、地理的に比布の方が有利で旭川を分岐点にすると、比布まで宗谷線と並行して線路を敷設することになるからです。
しかし、請願は退けられ宗谷線の旭川ー永山間に新旭川停車場を新設し、ルベシベ線は新旭川停車場分岐となり、新旭川ー愛別間が大正11年に開通、愛別ールベシベ(上川)間は大正12年に開通しました。

ぴっぷスキー場
旭川から国道40号線で比布市街地を過ぎて蘭留(らんる)に向かうと右手に「ぴっぷスキー場」が見えてきます。
町営で比布町産業振興課が行っています。
比布町は大雪山連峰を隅から隅までひと目で見渡せる町で、この大雪山連峰をバックに広大な上川盆地を一望できるのがぴっぷスキー場です。標高は250~580m、標高差330m。最長滑走距離は2200mになります。
そうして、最大傾斜は36度ですから上級者も満足。気温が道内でも低いので、さらさらのパウダースノーなのです。初級者から上級者まで楽しめるバラエティーな9コースで楽しめます。
私は40代の時は各町のスキー場に出かけました。50代に入り最後に滑ったのが比布スキー場です。一本滑って二本目に膝が笑い、ここまでとそれ以来スキーはやめました。

「大雪山が世界一きれいに見える町」として売り出しています。

ゆめぴりか発祥の地

産業は農業で「ゆめぴりか」が育成・開発された道立総合研究機構農業研究本部試験場があり「ゆめぴりか発祥の地」とされています。

いちご狩り公園

米作を主体とする純農村ですが、昭和30年代から本格栽培されたイチゴが名産となっています。もともと大正時代から、いちごの露地栽培がはじまっていましたが、水田の転作作物としてハウス栽培がスタート。
イチゴは名産品となっており、「イチゴジャム」「苺せんべい」「いちごワイン」などがあり、これら加工品の他、いちごルージュレや地酒も販売しています。
農園でつくられている種類は、「宝交(ほうこう)」と「けんたろう」。
「宝交」は昔からつくり続けられているぴっぷいちごの看板娘。
「けんたろう」は後味がさわやかな甘さが特徴です。
20戸のいちご農家の半数ほどで「いちご狩り」ができる観光農園を実施しています。農園によって作られている品種が違いますので、事前にパンフレットで調べておくと良いでしょう。