松前 修広(ながひろ)
松前藩最後の藩主

慶応元年(1865年)9月14日、13代藩主・松前徳広の長男として江戸本所横網町別邸にて誕生。

明治元年(1868年)10月、榎本武揚ら旧幕府軍に敗れて父と共に津軽にまで敗走となり、11月に父・徳広が死去。
明治2年(1869年)1月9日に家督を継ぎ4歳で14代藩主となりました。

明治2年4月、松前藩は新政府に協力して藩兵を出し、4月17日に福山城(松前城)を奪回します。
6月24日、版籍奉還により修広は藩知事となり、同時に藩名を舘藩と改称した。9月には戊辰戦争における軍功により、新政府から賞典禄2万石を与えられ、3万石の藩知事となりました。

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で藩知事を免職。

明治10年(1877年)、証券印紙税則違反で逮捕され、裁判所で罰金。

明治17年(1884年)7月、子爵となる。
明治24年(1891年)1月、伯爵になることを願うものの許可されず。
明治38年(1905年)3月26日に死去。享年41歳。