道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

芦別 1964年(昭和39年) 28分 白黒 音声なし   

昭和39年に芦別市が企画し、札幌放送局が映像化したフィルムをテレビで全道放映したものです。従って、57年前の芦別市です。
音声がありませんので28分間を「見るだけ」ですから、当時の町を知る人でなければ何が映されているのかがわかりにくい面があります。おそらく、こうでないかと思える感想です。

最初に映し出されるのは「芦別市宣言」でした。
「芦別市は世界の芦別市として、永久の平和都市であることを確認して、ここに宣言する」です。

この宣言文は1964年(昭和39年)。
現在芦別市を訪れると北海道大観音が迎えてくれますが、この観音像は1989年(昭和64年)の建立で、世界平和や北海道の発展の願いを込めて作られたものですから、市民の願いはすでに宣言文の頃から引き継がれていたのではないかと思われます。

次に、映像は上空から町を流れる「芦別川」と町の風景を映し出しています。
芦別(あしべつ)市名の由来は、市域南端から南北に貫流する芦別川にあります。アイヌ語のアシペッ(灌木の川)で芦別川が灌木の中を流れていることに由来するという説です。町の全景を見ることができ珍しい景色です。

映像が変わり、炭鉱の町らしく「芦別高根炭鉱」と「三菱芦別炭鉱」の輸送風景が出てきます。

しかし、炭鉱の町からの脱却を意識してか映像は他の産業を紹介しています。
豊かな森林を持つ芦別市ですから、新芦別株式会社の大木の切り出しから始まりトラック輸送、材木置き場、製材工場の映像です。JAS認定工場における「藤川ベニヤ工業」でした。
更に、養鶏場ではヒヨコから育てる「エサ」やりの映像。
鉄工場では溶接・旋盤加工までおこなっています。

極めつけは繊維工場で、女性社員のミシン・アイロン作業風景で、何を作っているのかと思えば「ラッシュコート」でした。

農業は米作りのために「ため池」、水田づくりをトラクターで開墾しています。また、稲作だけではなくブドウ畑もあります。更に、滝や川を生かして「魚を育てる」といったことや、植林のための苗づくりといった多角経営を紹介しています。

芦別神社祭り
芦別神社は明治27年にパンケホロナイに移住した石川県沢口団体の有志が2年後に建てたものが元になっています。
明治28年に富山県から団体で移住した人々も、郷里に伝わる越中獅子舞を根井清作らの尽力で奉納、後に市の無形文化財に指定されました。
この越中獅子舞の映像を見ることができます。これは珍しい獅子舞です。

道の開削
芦別市の歴史は、明治33年歌志内村から分村し芦別村となり、昭和16年町制施行しました。
道路の開削はおそらく隣町の歌志内に抜けるトンネル開削ではないかと思われる映像が映されていました。