道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

興部 1964年(昭和39年) 13分 白黒 音声なし 

興部は「おこっぺ」と呼びます。町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)からで、興部川、藻興部川が合流しオホーツク海に注いでいたところから、このように呼んでいたとされています。

映像は13分と短く、音声もありませんので町の詳しい紹介はありませんでした。おそらく、町役場が企画したものではなく札幌テレビ局がカメラを持ち込んで様々な風景を映したのではないかと思われます。

オホーツクに面した町ですから、海の風景からはじまり市街地から商店街などを流し、漁港や高台にある神社などの映像が映ります。神社は開拓者の歴史があるものと思います。
57年前の興部ですから、まだ健在の方はおられるでしょうから懐かしい風景になるとなります。

57年前に興部の産業はどのようなものだったのかが、断片的に映し出されます。
・漁港があるので漁業が主の町ですが、平地は一部、あとは森林なので林業が産業としてあったと思われます。ただし、他の町と違い材木工場が映されておらず、カラマツと思われる苗を育てております。植林が産業の一つだったのでしょう。

酪農の風景です。放牧した牛と牛舎が映り、街には大きなエントツの工場があります。集乳缶で集められた乳牛は雪印乳業の工場に集められ、「雪印全粉乳」を製品として作っていました。酪農が農家の大きな収入源だったと思われます。

まだ原野が多くブルドーザーで原野の木ごと薙ぎ倒して土地を切り拓いています。
また、粘土と思われる土を運びだし工場に集め、「ドカン」を大量生産しています。推測ではありますが、このドカンはエントツの代わりか泥炭地である農家の土地改良のための排水管にも利用されていたと思います。

漁港の風景
ホタテとタラ(?)が漁獲で、浜ではホタテから貝柱を取り出すお母さんたちです。
タラではないかと思うのですが工場に運ばれ、すり身を作っています。「日水凍魚」の箱詰め作業もありました。

町の発展
学校が映り、体育館建設の工事を行っています。
「興部町簡易水道水源浄水場」の作業員の風景があります。町営事業として浄水場を建築したのでしょう。内部が時間をかけて映されていました。
学校の体育館では剣道の練習風景が映されています。

最後はブルドーザーで土地を切り拓いている姿から上空に移り、興部の家々・山々の全景が映し出されていきます。

写真は現在の興部町にある「モウモウ城」です。

以上