違星北斗文学碑 ー余市町

違星 北斗(いぼし ほくと)
1901年(明治34年) – 1929年(昭和4年)29歳。  
アイヌの歌人・社会運動家。バチラー八重子、森竹竹市と並ぶ「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。

アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えました。

 

著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社出版部、現在は草風館より復刊)、『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』(角川ソフィア文庫)があります。

          余市町入舟町の水産博物館前にあります。

 春浅き
 鰊の浦や
 雪五尺

違星北斗は余市町大川町1丁目に、父甚作と母ハルの間の三男として生まれる。戸籍上の名は、違星 瀧次郎(たきじろう)。本来は竹次郎とつけられるはずだったが、代書人に口頭で頼んだところ「タキジロウ」と聞き取られてしまいそのまま登録されてしまった。
父・甚作は漁業(ニシン漁)を生業とし、また熊取りの名人であった。
祖父・万次郎は明治5年、東京芝増上寺境内に設置された開拓使仮学校付属の「土人教育所」に留学した1人。東京に残って開拓使の吏員となり、アイヌとしては最も早い時期に名字を名乗ることを許された一人。
父祖伝来のイカシシロシ(父系に伝わる紋)である「※」から、「違星」と書いて「チガイボシ」という姓を作ったが、読み慣らされて「イボシ」と呼ばれるようになったという。

  • ↓こちらにも違星 北斗のことを書いています。 

北海道の岬めぐり 152 (畚部岬 )