「夕張行」小山清ー夕張市

太宰治に師事し、夕張で炭坑夫として働き、人とのふれあいを描いた小説家・小山清に随筆「夕張行」があります。昭和22年1月から23年の秋にかけての情景が描いてあります。小山36歳の時でした。

「終戦直後、私は生まれてはじめて遠い旅をして北海道へ行った」。
遊山ではなく、生活のため坑夫の募集に応じたのである。上野を発ち、青森から連絡船に乗り、函館に上陸したあと長万部で室蘭本線の人となる。

「最後に追分から夕張行の支線に乗った。小さな昔風の汽車で、客車の中にストーブが取り付けられてあるのが土地柄を思わせた」。
夜九時ごろ夕張に着く。「夕張の駅は山峡にある。雪に被われた山のうえには、炭坑夫の寮や長屋の燈火が瞬いていて、はるばると来た私たちの胸にはいいようのない感慨を催させた」。
「私は夕張に二年いて、また東京に帰ってきた。それからもう五年になる。私はいつまでも、夕張のことを思わずにはいられない。おそらく、生涯につきまとうようなものであろう」

かつて、夕張市は産炭地として九州の三池炭鉱と並ぶ代表的な炭鉱地帯でした。
明治23年に北海道炭鉱鉄道株式会社(北炭)によって夕張採炭所が設けられてから三菱南大夕張炭鉱が閉山されるまでの百年間、夕張は石炭産業の町でした。