クラーク博士記念碑ー北広島市

島松駅低所

札幌から6里(約24㌔)、旧国道36号に国指定史跡の旧島松駅逓所があります。

札幌本道が開削されたのは明治5年のことでした。
ところが官設駅逓所になったのは明治28年でしたが、それ以前に石狩以北水田開発の祖として知られる中山久蔵の家が駅逓の機能を果たしていました。

ここが明治10年4月16日、札幌農学校教頭として在任8か月のクラーク博士を見送りに来た生徒と食事をして、最後に「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉を残して騎馬で去った場所です。クラーク51歳。駅逓取扱人中山久蔵は50歳でした。

クラーク博士記念碑が建てられたのは昭和26年4月16日。
札幌農学校の二期生で植物分類学者・宮部金吾を発起人代表とするクラーク奨学会によるものでした。

傍らに「寒冷稲作この地に始まる」と刻まれた中山久蔵の碑も建っています。