高瀬義夫「一路白頭ニ到ル ―留岡幸助の生涯ー」-遠軽町

ジャーナリストでもある高瀬義夫が留岡幸助という一般には知られていない人物の波乱の人生を描いた伝記です。

凄惨な幼少期からキリスト教を経たあとに監獄の研究をして、その経験から家庭学校を築くにあたった留岡幸助の一生が描かれています。
題名の一路白頭ニ到ルは「This one thing I do」の留岡による意訳で座右銘にしたものです。

 

現在は遠軽町は比布町から無料の高速道路が開通しているので近くなりました。
遠軽が行政的に村となったのは大正8年のことですが、石北線の遠軽駅が設けられたのは大正4年でした。「えんがる」の地名は、市街地中央に聳える願望岩にちなみ、アイヌ語の「インガルシ」見通しのよいところです。

高瀬義夫の一節からです。
「空いちめんがすべて白くみえるほどの雪の駅に降り立って、北西へ4キロほど進むと、北海道家庭学校の校門に達する。その奥は鬱たる森林である。雪の上に一歩一歩、自分の足跡を刻みつけるようにして、道をのぼること800メートルにして、ようやく本館にいたる。これが学校なのか。
はじめて訪れる人々はみな一様に驚きの声をあげる。日本のなかにこんな壮大なスケールの学校があったのか、いったい、いつ誰がここに学校をつくるという大構想を抱き、それを実行したのか」

我が国唯一の私立男子教護院です。

更に、関心のある方は下記です。

遠軽町の失われた風景