マクドナルドー焼尻島

幕末の嘉永元年(1848年)6月、アメリカ青年のラナルド・マクドナルドが日本上陸の第一歩を印したのは焼尻島の西端部でした。
オンコ自然村の入口にクマドナルド記念標が建っています。

この青年を主人公にした吉村昭「海の祭礼」からを紹介します。

「捕鯨船を離れたマクドナルドはボートで憧れの日本に向かった。前方の島影(天売島)が浮かび上がってきたが、靄は相変わらず濃い。島の西端をまわると、北方に島(焼尻島)が見えた。突然、異様な音が海上にひびき渡った。トドの群からのがれるように岬をまわると、ゆるく湾曲した砂地の海岸がみえた。ようやくボートをつけられる場所を見出したかれは、帆をおろして岸におり立つとボートを浜に引きあげた。日本の地に立ったのだと思うと、胸が熱くなった」

無人島とおもい込んだ彼はやがて利尻島に向かいます。そうして、自分を名のる所が実に面白く読みました。

「・・・そして、名は、それをたしかめるのが先だと思います。
茂吉は、慎重だった。
「しかし、それをどのようにして知ることができる」善次郎は、茂吉の言葉に反撥するように言った。茂吉は、口をつぐんだ。思案するように眉をひそめていたが、男に顔をむけると、自分の胸を指さし、
「茂吉」と言った。そして、善次郎についで丹五郎を指さしてそれぞれの名を口にし、男に指をむけ、「名前は?」と、問うた。
男は、真剣な眼をし、ふたたび名を告げる茂吉の言葉につづけて、モキチ、ゼンジロウ、タンゴロと妙な訛りで言い、名前は、という問いに、にわかに眼をかがやかせ、
「ナメ? ネイム?」と、甲高い声をあげた。かれは自分の胸を親指で突くと、

「ラナルド・マクドナルド」と、叫ぶように言った。」