オホーツク街道ー宗谷・稚内市

司馬遼太郎の「街道を行く」オホーツク街道の「宗谷」から

「海は、左側にひろがっている。私どもは宗谷湾に沿って北上し、最北端の宗谷岬にむかっている。このまま走ればー海に道路があればーあと一時間で樺太に着くはずである。/

「ここが、スカンジナビア半島の一角です、といわれても、そうかと思いますな」と、たれかがいった。
海と雪だけの景観のなかでは、人は空想のなかにいるしかない。
空想すると、さしずめ樺太はバイキングの根拠地になる。古代のスカンジナビア人は、牧畜と漁業を営み、穀物その他必要なものを手に入れるために舟に乗って、はるかに他の国を掠奪に行った。その活躍期は八世紀から十一世紀ごろまでで、オホーツク人の活躍とほぼ重なっている。

“オホーツク人”たちは、樺太からやってきた。樺太は、すでにのべたように沿海州からシベリアにつながる文化の中継地であった。つまりはシベリア文化が、樺太を経て宗谷にやってきていた。古代や中世の樺太は、近代の樺太よりずっと華やかな存在だったのである。/

右側は、宗谷丘陵がつづいている。
岬までつづくこの丘陵は、このあたりになると、樹木がない。素っ裸で風雪に耐えている。
宗谷とは、岬の名であるとともに郡の名でもある。ただしそのほとんどが今は稚内市域に入っているため、宗谷郡を称しているのは、オホーツク海側の猿払村ぐらいのものだという。」