間宮林蔵渡樺出港の地ー稚内市第2清浜地区

間宮林蔵の像

間宮林蔵の銅像は宗谷岬にあるので、樺太に渡ったのは宗谷岬からと思いていましたが違いました。

宗谷岬から稚内の市街地方面に向かって約3キロほど走った、第2清浜地区の海岸線に出港の地碑が建てられています。

 

現在、宗谷岬に立っている間宮林蔵立像は、昭和43年、出港の地碑ができたときに、この場所から宗谷岬に移設したといいます。

間宮林蔵の小説はいろいろありますが、吉村昭の「間宮林蔵」から出港の場面を紹介します。

「林蔵はこの地で樺太体験を持つ最上徳内に教えを乞い、伝十郎ともども準備に取りかかった。出発の日の海はおだやかで空は晴れていた。
浜には会所の深山宇平太、津軽藩兵の指揮格である山崎半蔵たちが見送りに来ていた。
林蔵は山崎に「成功せぬうちは、帰ってくることはいたしませぬ。もしも、失敗に終わった場合には、樺太に残り、その地の土になるか、それともアイヌとして生涯を終えます。再びお眼にかかれるとは思いませぬ。お達者でお暮し下さい」と低い声で言った。林蔵29歳、伝十郎40歳。