バチェラー(向井)八重子ー伊達市有珠

伊達市の中心市街地から虻田に向かうと有珠地区があります。
伊達の中の有珠は、この地方最大のアイヌ民族の集落がありました。それはチャシ址の多さにみることができます。
分化元年(1804年)に日高様似の等樹院、厚岸の国泰寺とともに蝦夷三官寺の一つ善光寺があることでも、有珠が要衝の地であることが分かります。

JR有珠駅を降りて真っすぐ進むと10分ほどで石造り西洋風建築の聖公会・バチェラー夫妻記念堂があります。
イギリス人のジョン・バチェラーの養女八重子が有珠アイヌの豪族向井富蔵の二女として生まれたのは、明治17年6月13日でした。7歳の時、有珠のキリスト教講習所でバチェラーにより洗礼を受け、やがて札幌のバチェラーのホームスクールに入り、明治39年に養女となりました。

晩年はバチュラー夫妻記念堂で信仰生活を送っていましたが、昭和37年に旅先の京都で亡くなりました。

アイヌ民族の悲哀と信仰を詠んだ歌集「若き同族ウタリに」は、アイヌ民族の絶唱。

「ふみにじられ ふみひかれし ウタリの名 誰しかこれを 取り返すべき
 貧しくも コタンを愛して 働かむ 父母たすけ 兄を助け
 いにしえの ユーカラカムイ 育てにし 姉君今も 在らまほしけれ
 考えて また考えて 見て見ましょう ウタリの為を ウタリの前途を
 キリストの 教の髄の その髄を ウタリに告ぐる 人は誰なる
 有珠湾に まれに訪い来る 雁の群 足もぬらさで 去るぞ悲しき
 有珠山に のぼりながむる 噴火湾 岸辺にたてる 駒が岳かな」

新村出・佐々木信綱・金田一京助の序文を得ています。 

北海道ゆかりの人たち「ジョン・バチェラー」