山川方夫「山を見る」ー洞爺湖町

山川 方夫(やまかわ まさお)
本名 嘉巳〈よしみ〉
1930年(昭和5年)- 1965年(昭和40年)
小説家。

東京都生まれ。慶應義塾大学仏文科卒。
父は日本画家山川秀峰。
「三田文学」を編集し、『海岸公園』などの短編集を発表。敗戦後の青春と死の不条理を自伝的に描いた。
『お守り』の翻訳が米「LIFE」誌に掲載されるなど将来を嘱望されたが、交通事故により34歳で死去。

 

「一昨年(昭和35年)の夏、私は札幌から、一人で洞爺湖行きのバスに乗った。べつになんの目的もなかった」。中山峠を越えてしばらくすると「やがて正面に洞爺湖の紺碧の湖面が見えはじめた。私はあきれて声をあげた。湖の中央にはマリモのような緑色の中島が浮かんでいる。それは、まるで絵葉書そのままの端麗な景色だった。ふと、湖の対岸に、奇妙な黄土色の山があるのが目にはいった。あたりの静穏な、緑の美しいなごやかに均整のとれた風景のなかに、そのゴツゴツした乾いた不格好なハゲ山は、いかにも不調で、異様だった。そのハゲ山は、それだけが異質なのだ」

昭和新山であると知り、それはいかにも突然であり、ふしぎな感動だった。
そして、「私はいま、この『山』を書きたい、という欲求にとりつかれた」。