石森延男「千軒岳」ー松前町

石森 延男(いしもり のぶお)  1897年 – 1987年
日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。札幌生まれ。
歌人で「われらが愛する北海道」の作詞者でもある石森和男の長男として生まれる。中央区南6条西9丁目に生誕地の碑がある。
東京高等師範学校卒業。中学校などの教師を経て、大連(中国遼寧(りょうねい)省)で十数年間外地生活を送る。第二次世界大戦後は昭和女子大学教授。1931年(昭和6)千葉省三らの同人誌『童話文学』に参加。
39年、日満の少年の友愛をテーマにした家庭小説『咲き出す少年群』を発表して新潮賞を受賞。また『日本に来て』(1941)などを出したが、広く知られるようになったのは『コタンの口笛』(1957)によってである。
『バンのみやげ話』(1962)では第1回野間児童文芸賞を受賞。
藻岩山ロープウェイ乗り場の隣に、石森父子を顕彰する「石森文学広場」がある。

「千軒岳」はキリシタンの疑いで京都を逃れた少年が大千軒岳の山中に辿り着くまでの物語です。

「高くそびえる白神岬がしだいにこちらに近づいてきて、エゾ地は大きな島だなと思わせる。能登丸は、松前の港にのっそりとはいっていく。港には大漁旗をたくさんつるした漁船がつめかけてもやっており、波止場には荷上げ人夫がむらがって、聞きなれない言葉でざわめきたてていた。磯の香とほし魚のにおいがいりまじって、ぷんぷんたたよってくる。
海岸通りには店屋と旅人宿がひしめき、住宅は町のはずれのほうへつづいていた。『あの白くみえるのが松前城だな。いい城だ』、『本丸も見える。右手が天守閣だな。左が角やぐらか。うしろのは桜門だな』